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おわりよければすべてよし

初めてスタジオに連れて行ってもらったのは3歳の終わり頃。
当時は(今もそうだけれど)人前で話せない子だったとか。
詳しい理由は長くなりそうなので省くとして、
母と見学に行ったとき、わたしが楽しそうにしていたからという
お稽古を始めることによくある理由で通うことになったらしい。

気がつけば、最初にスタジオに行った日からずいぶん長い時間が過ぎていました。




当時は今とまったく環境は違い、この国ではあくまでもお稽古の一つ。
プロになりたければ海外に行けば?のプロという言葉さえ
あまり聞かなかった時代でした。

父の仕事の関係で引っ越すことはあっても続けていたのは
どうしてだったんだろう。
大きくなっていたら「好きだから」と言えるだろうけど、
当時はまだまだそんなことにも気づかず
「やっていたから今度もやるわ」ぐらいの気持ちだけだったのかもしれません。

日本ではすでに上級といわれるところまでいっていて、
コンクールだって何度か出たこともあったというのに、
引っ越した先で初級扱いされたことがありました。

「できます。立てます」と言うわたしに
「あなたの足はまだ出来ていません。長く続けたいのであれば
一度もとに戻りなさい。日本は靴を履いて立つことだけにとらわれすぎている」
はっきりと告げる先生。

悔しかったかって?
「そうなんですか、それじゃあクラスを下げます」と、言うとおりにしただけ。
頭に浮かんだのは闘志ではなく、なぜか急がば回れという言葉。

日本なら週に5日、コンクールもとにかくたくさん出ますってことになっていたのだろうけど、
そこはよその国。
「そんなに毎日?あなたはどこそこのバレエ学校に入ろうとしているの?
すでに13歳になっているのに」って笑われておしまい。
なのでこれまで通りに淡々と、週に2度だけスタジオに通うだけ。
あくまでもお稽古のひとつ。

もしずっと日本にいたら、こんなに長くは続いてはこなかったでしょう。
学校のことを楽しむ間もなくレッスンに通っていたか、
大嫌いになっていたか・・・
とにかく途中で挫折していたことに間違いはない。

もうひとつ‘もし’という言葉を使うとして、
今の環境だったとしたら、最初からプロということも視野に入っていたのかもしれない。
でも当時はとにかくお稽古の延長。
職業としてあったのかもしれないけれど、でもでもという頃。

コーコーセーになってやりたいことも他に見えてきていて、
ダイガクセーになって他に楽しいこともいっぱいあったはずなのに、
週に一度はレッスンに通っていたのはどうしてだったんだろう。
辞めてしまうチャンスはいっぱいあったというのに。
もう生活の一部になっていたのかしら。
それともやっぱり好きだったから?

その後結婚して、これまたオットの仕事の関係で異国に住んだとき
ふつふつとした気持ちを吹き飛ばそうと行ってしまったのは
またまたスタジオでした。

今度は初級クラスに戻されることもなく、
小さかったムスメを預かってくださる方まで出現して、
そうそう、これまた当時の日本ではありえなかったこと。
あの頃はまだ、コドモが小さいうちは遊ぶなという空気が漂っていて、
その証拠に帰国してから再びレッスンに通いたくても、
週に一度、ほんの数時間コドモを預けられるところがなかなかなくて
苦労したぐらいですから。

あれこれしている間にわたしも30代になり、
ムスメも小学生になり、自由になる時間も増え集中してレッスンに通うかと思えば、
やってしまったのはダイガクに入りなおすということ。
何が楽しくてまたそんなことを・・・
ほんとにねぇ、何を焦っていたんだろう、そのときのわたし。

しかもすでに現在のところに入り、現在のような立場になりながらも
よくやっていたよ。

「わたし、靴を履いてくるくるってするのが好きだったんだ」
やっと自分の気持ちに気がついた頃、何年前だろう、
計算できないからムスメがチューガクセーだった頃としておこう、
まさかの大きな怪我。

年齢的なことも考えて、もはやこれまで。
もうおしまいにしよう。
これまで慌しかったからしばらくおウチでのんびりしよう。

なのになのに、足も元に戻ってきたら
身体を動かしたいという気持ちが湧き上がってきて、
真っ先に行ったのはスタジオではなく、スポーツクラブ。
何ヶ月か通ううちに、くるくるのクラスを見たらどうしようもなく
靴を履きたいと思えてきてしまって、
復帰に向けて猛烈にトレーニングを開始してしまった。

復帰といってもそれまでのポジションに戻れるとは思えず、
またお稽古に通えればいいかなっていうくらいのレベル。

ボスとは怪我をしてからも時々会ったりはしていたので
話しのついでに「これこれこういうわけでトレーニングしているんだよね」
なんて言ってみたら「立てるようになったら戻ってくれば?」というまさかの返事が
返ってくるとは。

そうなったら張り切ってしまうというものでしょう。
これまで何となくレッスンに通って、何となくの立場になり
目の前にあったことを淡々とこなしてきていただけ、
そのときは真剣だったとしても、振り返れば淡々と過ごしていたのかもしれなかったのに
張り切る、張り切る。
また靴をはいて立てたときの気持ちったら
何て言っていいのかわからない!

復帰してからの数年間は本当に楽しかった。
この国に今のような環境が整っていたとしたら、
最初から自分のめざす進路のひとつに入っていたかもしれない。
あと30歳若かったらとどれだけ思ったことか。

と同時に好きだけではやっていられないのもこの世界のこと。
キレイに見えるでしょ?
軽々と動いているように見えるでしょ?
とんでもない!
そんなに楽なものじゃないんだよ。



長くなりましたが、これまで続けてきたくるくる生活も今日で最後になりました。
毎日同じ時間にバーにつかまることから始まる生活もおしまいです。

今までいろいろあったけれど、本当に楽しかった。
楽しさに気がつき、今のポジションにつけたのが遅かった。
それだけが悔しい。



経済的に大変だったろうに小さい頃からレッスンに通わせてくださった両親、
あなたたちのおかげでやっと楽しさに気がつきました。
ありがとうございます。

ボス、ボスと最初に知り合ったのはお互いの知人を通してでしたね。
ただの飲みトモダチがこんな関係になるとは思ってもいなかったね。
あなたが声をかけてくれてチャンスをくださったから
今までのわたしがいるの。
ありがとうという言葉ですませてしまうのは申し訳ないのだけれど
他に言葉がみつからないわ。
感謝してます。ありがとう。

これまで手をかしてくれただけでなく、
愚痴もきいてくれたり励ましてくれたオトモダチのみなさん、
ありがとう。

わたしがウチをあけるとき留守を預かってくれたyさん、
ムスメがわき道にそれることなく育ってくれたのは
あなたが母親以上のことをしてくださっていたからです。
オットの帰りも寝ないで待っていてくださったんですってね。
しかもお夜食まで用意してくださっていたとは。
ありがとうございました。

今のわたしがあるのは
みんなのおかげ。
本当にありがとうございました。


そしてそして・・・


ムスメ、小学生になったばかりの頃、
ママに話したいこといっぱいあったんだよね。
お迎えにきて欲しい日だってあったよね。
お熱の日はずっと隣にしてほしいことだってあったよね。
なのに「ママ、お足マッサージしてあげるね」だなんて・・・
ゆっくり向き合ってあげられることが少なくてさびしいこともあったでしょ。
ごめんね。
そしてありがとう。

オット、あなたの協力があったからやってこれました。
わたしとあなたのことだから「愛してる」だなんて口がさけても言わない。
だからありがとうってだけいっておく。



ときどき記事にしてしまったとき、
コメントだけでなく、メッセージだったりメールだったり電話だったり
暖かい言葉をかけてくださったみなさん、
ほんとうにありがとうございました。


どんなに考えてもありがとうという言葉しか見つからないので
何度でもいいます。
今までありがとうございました。


最後の日、天気予報では大好きな晴れ。


それじゃあ行ってくるね。




nice!(7)  コメント(16) 

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コメント 16

お茶屋

何度も読み返してしまいました☆
ステキな晴れの一日となりますように^○^
いってらっしゃいませ!
by お茶屋 (2009-12-27 12:19) 

神童ヒナ

子供の頃に「やってみたい」ってはじめて言ったんですよ。
でも「足が痛くて血が出るんだよ」と親に脅された。
(そう言った親の気持ちが大人なってちょっとわかりました)

大人になって、ちょっとだけ習えた時はできないけどうれしかった。
バーレッスンだけで汗になるけどなんかスッキリしました。

素晴らしい出会いがたんさんありましたね。
まだ、これからもたくさんあるんでしょうね。
by 神童ヒナ (2009-12-27 13:49) 

ほーりー

今日は、ふこーかもよか天気です。
masaさん、いい一日になりますように。
by ほーりー (2009-12-27 13:57) 

コナ

わたしも涙でちゃった;ー;
ねえ様、おつかれさま!
by コナ (2009-12-27 18:31) 

北方の兄

今日で最終ステージをクリアしたんですね。
でも「終わり」でも「卒業」でもないでしよ?
だって一生バレリーナはバレリーナ。
くるくる回れなくなっても、
棺桶に入っても、灰になっても…

今日は区切りの日ですね。
お疲れさまでした!
by 北方の兄 (2009-12-27 21:35) 

ゆっきぃ

今朝はどのような朝をむかえましたか?
続けると言うこと、それが何よりも素晴らしいことだと思います。
その線上に多くのことがあって、点になっても、曲がっても
ずっと繋がっていることそれがなによりも。

隣人とはいえ、masaさんの歩んできた線と
これから引かれていく線への想いがとてもとても愛しく感じます。

おつかれさまでした(^^)
by ゆっきぃ (2009-12-28 10:12) 

masa

お茶屋さん、
いい1日になりました。
今ではもうずっと前のことのような感じでもあるし、
あと何日かしたらまた今までと同じところに行ってしまいそうでもあるし。
終わってしまったはずなのに、
まだ実感がありません。
by masa (2009-12-30 05:46) 

masa

神童ヒナさん、
「痛くて血が出る」
本当に痛くて血が出ます。
サンダル履けません(←履いてるけどね)
これからも靴を履き続ける生活は続きますが、
今までと意味が違うのよね。
寂しくもあり、楽しみでもありっていったところでしょうか。
まだ自分でもよくわからないんです^^
by masa (2009-12-30 05:51) 

masa

ほーりーさん、
最後は本当に素敵なことばかりでした。
晴れって気持ちを楽にさせてくれるね。
さいこーだったよ。
by masa (2009-12-30 05:52) 

masa

コナちゃん、
うううっ・・・
わたしも考えただけで涙が出そうよ。
つらかったことも苦しかったこともあったからこその今なのかしら。
よく続いたものよね、わたし。
by masa (2009-12-30 05:55) 

masa

兄さん、
そうよね、これからも靴を履く日が続くのだから
あの日は区切りの日だったのよね。
最後ではなく。
やっぱりわたしにはそれしかないのかもしれないわ。
そう、兄さんからお酒をなくせないのと同じで(ごめん)
兄さん、昨日も二日酔いだったと聞きました。
オトナになるとともに今まで難なくできたこともできなくなってくるものです。
世間はお正月に突入いたしますが、
くれぐれも飲みすぎませんように。
by masa (2009-12-30 05:58) 

masa

ゆっきぃちゃん、
終わった後の充実感と少しの後悔を抱えて朝を迎えました。
何ら変わることなく、今までと同じように。
これからもまた靴を履く生活は続きますが、
次に進んでみてまた自分の気持ちがわかってくるのかもしれません。
ゆっきぃちゃん、あの日のこと、今考えてみても愛おしいよ。
ありがとうね。
by masa (2009-12-30 06:11) 

masa

Binさん、ありがとうございます。
by masa (2009-12-30 06:11) 

masa

monaちゃん、
きゃー♪ありがとうございます。
by masa (2009-12-30 06:12) 

つなみ

masaちゃん、記事を読んで泣いてしまいました。
私は泣き虫なのが困ります。
長い間お疲れ様でした。
これからも楽しくがんばって。

私もそろそろかなと、
このシーズンが終わった日に
先生にご相談したのですよ。
by つなみ (2009-12-31 14:48) 

masa

つなみさん、
お稽古ならまだね大丈夫じゃないかと思うの。
楽しく技術を磨いていけばいいんだもの。
でもわたし達はそんなに甘いことは許されない。
出来なくなったから降格なんてもありえない。
だから苦しいのよね。
この後は後任の指導に力を入れていくつもりです☆
by masa (2009-12-31 16:06) 

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